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ここでご紹介するのは,ラフマニノフ作曲のピアノ協奏曲 第2番です。
既に3番をご紹介しているので,どうせなら2番も!というふうな感じです。だけど,私は2番のほうが好きだったりしま
す。そして一般的な人気も2番のほうが高いのでは?と思います。
さっそく“おすすめCDのご紹介”といきたいところなんですが,その前に,セルゲイ・ラフマニノフとはどういう人生を送
った人なのか説明したいと思います。
セルゲイ・ヴィシリエヴィチ・ラフマニノフは,1873年4月1日に,ロシアの地主貴族の子として生まれた。しかし,
農奴解放の影響で家計が傾き,また,両親が離婚するという不幸も重なって,彼は9歳のときからベテルブルグ (現レニングラード)で母の手一つで育てられた。ラフマニノフは,音楽的教養の豊かな祖父や両親の感化で, 幼少の頃からその方面のきらめきを見せ,モスクワ音楽院に入学すると,早くも在学中にピアノ協奏曲の「第一 番」を完成させた。また,同校を卒業した19歳のときに,短期間で書きあげた歌劇〈アレコ〉がチャイコスキーの 推挙でその翌年ボリジョイ劇場で初演されるなどの目覚しい天才ぶりを発揮した。
しかし,1917年のロシア革命のとき,貴族の家柄のエリートであった彼は,共産主義のソビエト政権を嫌ってパ
リへ亡命し,翌年アメリカに渡った。そして,その国を永住の地に定めたのであった。晩年にラフマニノフは,も う一度ロシアの地を踏みたいと願ったが,第2次世界大戦によって母国への帰参をはばまれたのであった。そ して,あと5日で70歳の誕生日を迎える1943年3月27日に,カルフォルニアのビヴァリーヒルズで永い眠りにつ いた。
故郷に帰りたくても帰れなかった,かわいそうな人です。
ちなみに,ピアニストのホロヴィッツ君も,ロシアからアメリカに亡命した人です。そんなにロシアは音楽活動のやりにく
いところだったのか?
ラフマニノフは,1897年に自信満々で発表した交響曲の第一番が酷評だったため,強度の神経衰弱(ノイローゼ)にな
ってしまいます。そのとき,絶望の淵から救ってくれたのが,音楽好きの医者のダール博士でした。
ピアノ協奏曲 第2番は,ラフマニノフからダール博士に捧げられた曲です。
そのときダール博士は,まだそのころ一般的ではなかった催眠療法をとりいれた治療をおこなったそうです。すげえ!
それでは,この作品のCDをご紹介いたします。
私の持っているCD(録音)のなかで,一番好きなのがリヒテル演奏のものです。
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このCDを初めて聞いたときは,マジでビビッタ!!
一つ一つの音が重くて彫りが深いというか,なんて言うか,リヒテルの弾くピアノに音に圧倒された感じがします。
また,暗くて,どことなく鬱(ウツ)な感じが,私の抱いていたロシアのイメージにぴったりな演奏です。
この演奏を聞くと,ラフマニノフの曲はやはりロシア人が弾くべきだな!とか思ってしまいます。
ちなみにピアノ協奏曲 第2番で,一番好きな楽章は2楽章です。2楽章のとてもメランコリーな感じがすごく好き
で,この楽章のできさえよかったら,そのCDは“当たり”とか思ったりします。当然,このリヒテル演奏のものは“当たり” です。
現在はリヒテル盤ばかり聞いていますが,今までで一番よく聞いたのはヴァン・クライバーン演奏のものです。一番よ
く聞いたというより,一番最初に買ったCDということなんですけどね。 ![]()
このクライバーンは,あのチャイコフスキー国際コンクールの第1回優勝者です。
そのチャイコフスキー国際コンクールの第1回が開催された1958年の世界情勢はと言いますと,ソビエトとアメリカの
冷戦時代の真っ只中で,この2大国は世界世界中に国力を誇示するためにありとあらゆる分野でしのぎを削って言い ました。このコンクールの前年にソビエトは,人工衛星スプートニクによって宇宙開発の分野でアメリカの先を越し,そし て芸術の分野でも優位に立つべく翌年の1958年に第1回のチャイコフスキー国際コンクールの開催を発表しました。
当然のごとくソビエト政府は,最高の訓練を受けたコンクール要員を何人も用意し,最高の状態でコンクールに臨んだ
のでした。
しかし!ソビエト政府の思惑どうりににはいかなかったのである!!こともあろうに,当時の宿敵アメリカに優勝
をもっていかれたのである。
そして,その優勝者がヴァン・クライバーン選手です!!
コンクールに参加したときのクライバーンは,ほとんど無名でした。ソビエトも,アウト オブ ガンチューだったので,
KGBも破壊工作を計画する時間がなかったのでしょう。
このアメリカの一青年が,ソビエト政府の用意した強者たちを蹴散らしたのだから,アメリカ国中が大盛り上がりだった
のは言うまでもありません。
そんな超カリスマなクライバーンですが,実はとってもいいやつです。
彼は第1回チャイコフスキーコンクールで優勝したとき,はるばるロシアの土をアメリカに持って帰って,ラフマニノフ
の墓前にお供えしたのでした。
なんとも泣かせる話です。そういったお涙チョウダイ劇に,私はとても弱かったりします。
そんな彼の演奏した第2番ですが,初めて聞いたときは特に何も感じませんでした。というより,良いか悪いかよくわか
らないといった感じでしょうか。
しかし,他のいろんなCDと聞き比べてみると,なんだか勢いだけのような感じを受けるようになりました。音に抑揚がな
いというか,平坦な感じがします。こういうのをドラマ性に欠けると表現するのでしょうか。でも,まあまあ気に入ってます けど。
しかし,このCDは今でも売っているのか?
第3番でもご紹介しましたけど,ピアノ協奏曲 第2番は,ラフマニノフ自身による演奏の録音がRCAとNAXOSの2つ
のレーベルから発売されています。
RCA NAXOS
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第3番でも書きましたが,自作自演ということは,作曲した本人が演奏したものなので,考えようによってはそれ以上の
演奏はないということになるのでしょね。とりあえず,聞いてみ価値はあるかも。
ちなみに値段のほうはRCAが2,000円,NAXOSが990円と,NAXOSレーベルから発売されているもののほうがとって
もリーズナブル!!
このNAXOSレーベルですが,値段があまりに安いのでいかがわしい廉価盤と思われがちですが,実は1987年に香
港で設立されたちゃんとしたレーベルです。日本ではまだ,発売されて9年目と歴史が浅いので知らない人も多いの ではないでしょうか?とりあえず,私は知らなかったです。
ちなみに,この作品のCDで最近買ったものがアシュケナージ演奏のものです。
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このCDを最初に聞いたときは,正直言って気持ち悪かったです。特に1楽章の始まりが“ぼろ〜ん,ぼろ〜ん”とい
う風な音で,違和感を感じました。
これは,どうなんでしょうか?この録音が初めて世に出た時の評価はどうなのか?
全体を通して聞いてみても,なんだか不思議な感じのする演奏です。
でも,何度か聞いて音に慣れると,けっこうハマリます。
値段も1,300円と安かったし,まぁいいか!(←またかよ!)
私が持っている,ラフマニノフのピアノ協奏曲 第2番のCDは以上です。
(ルービンシュタインも買って聞くべきか?!)
このピアノ協奏曲 第2番は,とても人気の高い作品だけに,現代のアーティストに多大な影響を与えています。
ついでと言っては何ですがそういった影響を受けた,あるアーティストを紹介いたします。
エリック・カルメン君です。
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なかなかのいい男である。ちなみに彼は,日本では“ポップスの貴公子”とか呼ばれていました。
そのポップスの貴公子も今や50過ぎのオッサンです。がは!
このCDは,そのエリック・カルメンの96年に発売されたベスト盤です。
このベスト盤の1曲目の“オール・バイ・マイセルフ”(ALL BY MYSELF)と2曲目の“恋にノー・タッチ”(NEVER
GONA FALL IN LOVE)が,ピアノ協奏曲 第2番に触発されて作られた曲です。
とくにオール・バイ・マイセルフは,そのまんまやんけ!!とツッコミを入れたくなるほど触発されまくってます。
ちなみにこの曲は,1976年にシングルとして発売され,ビルボートチャートの第2位になりました。大ヒットですね。
私もこの曲は大好きです。5年ほど前にセリーヌ・ディオンがカバーしたので,知っている人も多いのではないでしょう
か。
しかし今でこそ“サンプリング”という言葉があり,“パクル”ことが当然のごとく行なわれているが,その当時は“パクッ
タ”と非難を受けたに違いない。それぐらい大胆にヒューチャリング?されています。
ぜひ,原曲(ピアノ協奏曲 第2番)と聞き比べてみてください。
とりあえずそんなもんで。
私の思い出として
広中 孝(p) 増井信貴指揮 信州大学so 1995年
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