4月26日


 2002年4月23日

 みんな元気? 私は元気です。

 気がつけば,あれから1年が経とうとしています。月並みな言い方ですが,まるで昨日のことのように感じます。みなさ
んもいろいろと想うことがあるのではないでしょうか? ええ・・・ 私も最近は,彼のことばかり考えています。
 今回は,大学時代の同級生“横尾大介”君のことについていろいろと話してみようかと思います。

 2001年4月30日の午前(もう昼前だったかな?),私の携帯に彼の不幸を知らせる電話が入りました。そのとき感じた
のは,驚きとか悲しみよりも“ヨコオ・・・ 久しぶりだなぁ”というふうな感じでした。強烈な衝撃が走ったとか,ショック
で信じられないとか,そういう感じは不思議とありませんでした。
 以外に感じるかもしれませんが,大学を卒業した後,彼とはほとんど話をしていません。彼が亡くなった日から遡って
も,一年以上も電話すらしてないのではないでしょうか。そして,直接彼に会ったのも,私の記憶では大学卒業してから
一度だけです。別にけんかしていたわけでもないのですが・・・
 
 大学に入学した始めのころは(だいたい1〜2年生のころかな?),ヨコオとはよく“つるんで”いました。そのころ学校
で,よく“つるんでいた”のは,どちらかというと大学の授業・同級生・先輩といった環境にあまりなじめない,いわゆる
“ハミダシモノ”的な性格の人が多かったような気がします。大学の授業よりも,部・サークルといった課外活動のほうに
熱中していたからなんですけどね。だから,その頃の私のヨコオのイメージは,まさに“サッカーバカ”といった感じです。
私も大学時代は,一応熱中することがありまして,特にヨコオとの接点はなかったのですが,どういうわけか彼とは“ウ
マ”があったというか,授業の合間や昼食の時間は,よく一緒にいました。
 というのも,ヨコオは私と同じくらい(いやそれ以上に)毒舌で,そして下品な男でした。(よく言えば“男っぽい”になる
のかなぁ?)そんな感じだったので,話も合ったんだと思います。

 だけど,今思えば,そんなにヨコオと遊びに行くことはなかったなぁ・・・ 彼はほとんどサッカーばっかりやってたし,私
はオーケストラで忙しかったし。
 そういう感じで,学校の外ではあまり遊ぶこともなかったんですが,伊那までドライブに行ったことがありました。大学1
年生の冬のことです。夜中にいきなり,カヤマ・ナカニーと共に私のアパートに押しかけてきて,無理矢理,車に押し込
められ伊那に連れていかれたのでした。
 
 乗松氏の車を運転するヨコオ
平然と運転していますが,彼が免許皆伝したのは,この2年後で
す。ということは,このときは・・・
しかも他人の車を。

こんな無鉄砲なヨコオが好きでした。ぶははは!
 撮影=塩月

 農学部の掲示板前にて
こんなオゲレツで恥ずかしいことばかりやってました。
民家の玄関の真ん前で,つれしょんをしたりして,なんか楽しかっ
たなぁ。


左からヨコオ・ワシ・カヤマ
 撮影=ナカニー

 まさに“若さ”と“バカさ”をはき違えていた感じもするが,こういうのもいいかな?とか思ったりもします。勢いだけで,
一緒にバカ騒ぎする仲間がいたのは,とても幸せなことではないでしょうか。
 そんなふうなでヨコオとの関係?は,普通にどこにでもあるような気の合う仲間同士という感じでした。
 

 そんな普通の学園生活の中で起きたあの事故は,私には事実を受け入れることができないほどショックでした。どう
することもできないのが,どうしようもなく腹立たしくて,意味もなく身近な人に“アタッテ”いて,まるでパニックでした。
 そして面会ができるようになったとき,実際,病院のベッドに横たわるヨコオに,どんな言葉をかけてよいのかわかり
ませんでした。エガワと一緒に,ヨコオのお見舞いに行くことが多かったんだけど,意外と?エガワは,気のきいた言葉
をかけてあげることのできる男です。“エガワってオトナだよなぁ”とか思っていました。それに比べて,俺はダメだったな
ぁ。初めのころは,一人でお見舞いに行くことすらできませんでした。現実を受け入れるのが怖かったというか,いたた
まれないというか,“なんという臆病者なんだ!オレ!!”
 でも実際,私はヨコオのことをどれだけ知っていたのでしょうか?それまで本音で話すことは一度もなかったと思いま
す。ホントに勢いと笑いだけの関係だったんだなぁ〜と感じました。

 なんでかなぁ?あの頃はヒマさえあれば,ほとんど毎日のようにヨコオのお見舞いに行きました。エロ本を無理矢理渡
そううとした時はけっこう嫌がられていましたが,だいたいは喜んでくれました。
 入院中のヨコオは,普段では言わないような“ホンネ”をけっこう話してくれました。事故の後しばらくは,自暴自棄にな
っていて彼の母さんや看護婦さんを困らせるようなことをよくしたとか・・・まぁこの話は,いいや。とにかく,そういった感
じで,じっくりとヨコオと話す時間が沢山あったあの頃は,非常につらい時期ではあったんですが,私にとってはそういう
ヨコオの本音に接することができた貴重な時間であったかなと思ったりもします。
 
 しだいにケガも回復して,ちょっとした外出ができるようになると,よく二人で外に出かけました。病院に帰るのが遅く
なって,検査の時間に間に合わず,ヨコオの母さんにメチャクチャ怒られたこともあります。

 “す,すいません・・・”
 “いいえ!塩月さんが悪いんじゃありません!!ダイスケが悪いんです!!”

 いや,誘ったオレが悪い・・・
 申し訳なかったなぁ・・・ しかも,ヨコオの帰りを病院の玄関でずっと待っていたみたいだし。

 だけど,ヨコオには,どんな環境でも楽しむことのできるパワーがあったよなぁ。ホントに。
 かなりつらいはずなのに,いつも楽しそうにしていました。実際,一緒にいて楽しかったし。
 ある日,ヨコオ・エガワ・ナカニー・ワシの4人で,ボ〜っと窓の外を眺めていると,だんだんと里山辺のほうから雪がち
らついてくるのが見えました。そのとき,ふと,ヨコオが口にした言葉は,

 “あ〜ぁ,早く退院してえなぁ〜”

 なんだか切なかったなぁ。
 このときの窓の外の風景と彼の言葉は,なぜか鮮明に覚えています。その数週間後,ヨコオは退院することになりま
した。

 
 “性格は変えれないけど,生き方は変えることができる”というふうなことを誰からか聞いたことがあります。退院して
からのヨコオがまさにそうでした。誰とでも気軽に話し,そして笑う。まさにそんな感じでした。また,これまでの遅れを取
り戻そうと,授業にも(かなり)まじめに取り組んでいました。
 
 徳本峠入り口にて
いくらなんでも,徳本峠は無理だろ!
エガワ流のリハビリはスパルタだからな。

左からエガワ・ヨコオ
 撮影=塩月

 
 美ヶ原〜霧ヶ峰での写真
なぜかわからないが,このときニイイは海パン持参でした。

左からワシ・ニイイ・ヨコオ・カヤマ
 撮影=塩月


 誰とでも仲良く,そして明るくなった(いや,もともと明るいのだが・・・)ヨコオでしたが,それなりに悩んでいたんだろう
ね。オーケストラの定期演奏会に,ヨコオを招待したときのことです。演奏終了後に,ヨコオがやってきて私にこういいま
した。

 “ステージのお前をみたら,今のオレは何やってるんだろうって考えさせられたよ・・・”

 そのとき私は,何を言っていいのかわからず・・・というより,まさかそういうことをヨコオが言ってくるとは思わなかった
ので,びっくりして何も言葉が出ませんでした。
 でも,今なら言えます。“お前ほど,現在を精一杯生きているやつはいないぞ!”とね。

 私は人の“死”に接したとき,必ず考えることがあります。
 “オレって,ここで死んだら,今までベストを尽くしたと言えるのだろうか?”
 漠然とですが,そんなことを考えたりします。でも,こういう話は,めんどくさいのでこれで終わり。

 卒業するまでヨコオとは,相変らずバカなことをやったりしていたんだけど,やっぱり事故の前とは,なんだか違う感じ
がしました。“オレタチのヨコオ”というより,“ミンナのヨコオ”という感じかな?だけど,入学してから卒業するまで,まっ
たく成長していないオレって・・・

 薄川上流で
全部脱ぐ必要はなかったな・・・


左からワシ・カヤマ,手前ヨコオ
 撮影=ナカニー


 2001年5月1日,松本へ
 なんというめぐり合わせなんでしょうか。たまたまエガワが,埼玉の実家(私のアパートから車で30分のところ)へ新潟
から帰っていて,一緒に行くことになりました。彼とは,実に3年ぶりの再会です。

 “エガワ〜,お前変わってねぇなぁ〜!”
 ”お前もな!”

 コイツは3年前から全く変わらんな。見た目といい,話し方といい,性格といい。まさに期待を裏切らない男!!予定
の時間に,大幅に遅刻してくるところなんかもね。

 エガワとは3年間のブランクがあったにもかかわらず,いつもの調子で。
 これがヨコオであっても,同じような感じであったと思います。本当の友人とは,こんな風な感じなのかどうかはわから
ないが,ヨコオ,エガワとはこんな感じかな。それぞれが自分の世界,生き方を持っていて,それぞれについて特に干
渉するようなことはない。だけど,機会があれば,あの頃(いつもの調子)に戻れる仲間。そんな感じ。これは,事故の
前からそうであって事故で入院していた時期が,ボクラの関係としては異常だったのかもしれません。なんというのかな
ぁ?チョットオセンチな青春劇場を演じていたような気がします。
 
 告別式では,私は泣きませんでした。別に涙を一生懸命こらえていたわけではありません。イガイに思うかもしれませ
んが,私はとても涙もろい人間です。このまえもNHK教育で放送していた,オードリーヘップバーン主演の映画「昼下が
りの情事」を見て大泣きしてました。悲しいときには泣きます。「あまりに突然の出来事で現実を受け入れることができ
ない」みたいなことをよく言いますが,私はそんなじゃありません。このときは別に悲しいと感じませんでした。
 
 なぜって?
 
 この先,当分会えないけど,会えばふっつう〜にっあの頃に戻れるような気がするんです。だって,アイツは“期待を
裏切らない男”だから。
 そういえばエガワも泣かなかったな・・・
 
 でもね,ヨコオの遺骨を持って大阪に帰る彼の両親を,松本空港にみんなで見送りに行ったときは,泣きそうになっち
ゃたな。ヨコオが退院して実家に帰る日に,松本空港へエガワとオレの二人で,ヨコオと彼の母さんを見送りに行ったと
きのことを思い出したから。
 そうだなぁ,“あのときは,なんだかちょっと寂しいものがあったけど,今日はメチャクチャ人が見送りに来てくれてる
ぞ!お前は幸せもんじゃ!!” って感じかな。
 機内のヨコオは,これを見てどう思ったんだろうか?

 



そんなもんで。





どこ行くんだよ!

ん?生協。






メモリアルブックのために書いていた,下書きっぽいのをほとんどそのままの状態です。
モリキヨセンセすんません。何もメモリアルブック作成に何も協力しないて,大変申し訳ないと思っております。
でも,やっぱりメモリアルブックには,ちょっとそぐわないかな?と思いました。
エガワはどんなの書いたんやろか?


あとちょっと,気になることがあります。
ヨコオが事故でICUに運ばれた夜,彼の留守電にあるメッセージを私は吹き込みました。その留守録は,どこかに保管
してあったと思うのですが,形見わけ?のとき誰か見ませんでしたか?
形見わけのときには,ワシも誘ってほしかったな・・・




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